福井県 辞書

〔福井県〕福井〈県〉(ふくい〈けん〉)

中部地方西部に位置する県。
本州の屈曲部に位置し、日本海に面する。北は石川県、東は岐阜県、南西は滋賀県・京都府に隣接する。西部はリアス式海岸の若狭(わかさ)湾で観光・漁業地域。原子力発電所が多い。古くから北陸道の入り口にあたる要衝の地で、現在も京阪神(けいはんしん)地方・中京(ちゅうきょう)地方との結びつきが強い。人口80万3180。面積4189.88km2。人口密度191.70人/km2。管轄市町村は9市8町。県庁所在地は福井市。県花はスイセン。
歴史を見ると、縄文時代の遺跡からは各地の多様な様式の土器が発掘される。また三方上中郡若狭町の鳥浜(とりはま)貝塚は木製品を含む多種類の生活用具の出土で名高い。稲作の定着は弥生時代中期と推定される。数多くの古墳が分布するが、南下するほど畿内(きない)の影響が強い。大化(たいか)の改新時に越前(えちぜん)国・若狭国が成立。平安時代末期には平氏、鎌倉時代は東国御家人の地頭が勢力をもち、東大(とうだい)寺・興福(こうふく)寺・春日(かすが)大社などの寺社が盛んに荘園(しょうえん)経営を行った。室町時代、本願(ほんがん)寺の蓮如(れんにょ)が浄土真(じょうどしん)宗(一向(いっこう)宗)をもたらし、各地で一向一揆(いっき)が発生。これと戦った朝倉(さくら)氏が勢力を拡大したが、1573年(天正(てんしょう)元)、織田信長(おだのぶなが)によって滅ぼされた。江戸時代初頭は越前に福井藩ほか数藩、若狭に小浜(おばま)藩が配されたが、廃藩・転封・減封となるものが多かった。1871年(明治4)の廃藩置県では6県が成立、同年11月に福井県・敦賀(つるが)県に統合された。その後、滋賀県・石川県への分離・併合を経て、1881年に福井県が再置されてほぼ現県域が確定。
地勢を見ると、県域は若狭湾を取り囲むようにして北東から南西に細長く延び、木ノ芽(きのめ)峠を境に嶺北(れいほく)地方・嶺南(れいなん)地方に分かれる。北の嶺北地方は東南部を両白(りょうはく)山地が走り、北部に福井平野が広がる。南の嶺南地方は野坂山地と丹波(たんば)高地が海岸近くに迫り、平地に乏しい。全域が豪雪地帯で、若狭湾にはリアス式海岸が発達する。気候は、日本海岸式気候の北陸型で、冬季曇天降雪が多い。嶺南地方はやや温暖で、降雪量は嶺北地方より少ない。
産業は、農業では、早場米の単作地帯で、耕地面積の約91%を水田が占め、ダイコンスイカなどの野菜も栽培するが、畑作への転換はあまり進んでいない。漁業は、若狭湾とその沖合でイカ・イワシ・ブリを漁獲。越前ガニ・ウニ・カレイ特産工業は、裏作をもたない農家の労働力を吸収して繊維工業が発達し、近年は化学・機械などの重工業も進出。工業は全般に低調だったが、小浜市や嶺北地方各所に進出した電機工業が繊維と並ぶ基幹業種に成長した。地場産業は、福井市・鯖江(さばえ)市のメガネフレーム、越前市の刃物、同市今立(いまだて)地区の越前和紙、坂井市丸岡町の越前竹人形、小浜市の若狭塗などが有名。なお若狭湾岸には高浜(たかはま)・大飯(おおい)・美浜(みはま)・敦賀の原子力発電所と高速増殖炉施設が並び、原子力関連施設の集中地域となっている。
観光では、県域が白山国立公園の一部を構成し、海岸線は北東部が越前加賀海岸国定公園、西部が若狭湾国定公園に指定される。断崖(だんがい)が海に迫る東尋坊(とうじんぼう)をはじめ、越前松島、三方五(みかたご)湖、蘇洞門(そとも)などの景勝地が連なる。また両白山地九頭竜(くずりゅう)湖・九頭竜峡も勇壮な景観で、周辺のスキー場とあわせて観光客を集める。敦賀西町の綱引き、睦月(むつき)神事、水海(みずうみ)の田楽・能舞などが国の重要無形民俗文化財に指定されているほか、静岡市清水区の三保松原、佐賀県唐津市の虹ノ(にじの)松原とともに日本3大松原の一つ、敦賀(つるが)市の気比(けひ)の松原では8月に敦賀とうろう流しと花火大会が行われる。
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